スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | top↑
『ウダウダやってるヒマはねえ!』
2006-03-09 Thu 02:01
 余談ですが、阿含とヒル魔の姿をみてると、うだヒマの亜輝とアマギンをちょっと連想します。

 若い子は「ウダウダやってるヒマはねえ!」って作品は知らんと思うので解説しますと、チャンピオンで連載されていたヤンキー漫画?です。主人公は直巳と亜輝というふたりの悪っぽい高校生で、直巳はバカだけど情緒は安定してるタイプ。犬科。描写はないけどたぶん家族関係は良好で兄弟も多そう。亜輝は個性が強くて不安定。猫科。一人っ子で両親は海外赴任しており独り暮らし。とくに亜輝がいかにも「あいつ絶対B型よ、一緒に住めないわ」って感じの性格で、好きなキャラでした。
 でまあヤンキーものから格闘路線に突き進んだような作品で、いろんな敵が次々と登場し、ふたりがそれを倒していくわけなんですけど。アマギンこと天草銀くんは敵として登場。幽白の飛影みたいなもんで、単なる悪役から仲間に……は、なりませんで、読者に人気がでたのか作者が気に入ったのか、妙に美化された悪役と化したんですよね。最終的には真の主人公みたいになってました。まあ作者さんがけっこう行き当たりばったりに話を作ってるのが丸わかりで、最初に比べるとキャラが随分変化しちゃったんですけどね。出てくる敵がやたらアマギンのことを伝説の人みたいにもちあげてたり、じつは因縁のある古い友人だったりという展開になったわけです。腐女子的にいうならば総受と化したというか。アマギン自身は究極の一匹狼タイプで、手下がいても「あいつは独りだ」とかいわれちゃうし、とにかく孤高を守り続けているのような単独行動の人でした。

 あらすじ長いよ私。そんで亜輝が、あくまで敵というポジションを崩さないまま銀に理解を示しはじめて、しまいには成り行きで組んでふたりで行動しちゃったり、銀がピンチになったとき救出に走ったりしました。その動機として語られるのが「アイツはもうひとりの俺だ。もし直巳や仲間たちがいなかったら、俺はアイツみたいになっていたはずだ」という言葉。痺れますね~萌えますね~。ヤンキーものですから一緒につるんでいる仲間って重要な位置づけなんです、そのなかでリーダー格のはずなのに油断すると浮いてしまったり疎外感を覚えてしまったりする亜輝ってキャラがよく表れています。
 結局ふたりは、繋がりを深めたんだろうけど味方にはならず、アマギンとしても今さらお友達ゴッコなんかできねーよって感じでひとり去っていきますし、亜輝はふだんの仲間の元に戻ります。で直巳に「ひとりってのはやっぱツライわ」と語るわけです。
 この亜輝のアマギンに対する感情移入ぶりってのが怖いくらいなのに一緒に行動しようとはしないところが良かったなあ。本当は、自分には直巳がいるみたいに、アマギンにとってのそういう存在になれたらいいなと思ってはいるんだけど、性格的にそれができるタイプじゃないんですよね。似すぎていて気持ちはイヤってほど通じるのに、足りないものを埋めあうことはできないふたり。亜輝も自分でそれがよくわかってたからこういう結果になったんじゃないかと私は思う。その後アマギンが死んでからの亜輝の迷走ぶりも凄まじい。彼が孤独なまま死んだのは自分が一緒にいてやることを選ばなかったからなんだけど、だからってどうにもできなかったのもわかるという……ねえ。いい作品です。

 えっと、阿含とヒル魔の話をしたいんですよ。この似て非なる悪なふたりから、亜輝とアマギンの関係と同じような匂いを感じられなくもないっていいますか。ヒル魔さんがねー、設定だけみると猫っぽいのに、ケルベロスを飼っていることもあって、意外にも集団行動に適した犬科の人にもみえてしまう。亜輝がもうひとりの自分だと思っているアマギンと離れて仲間たちの元に戻ったみたいに、武蔵や栗田と一緒にいることを選んだっていうかね。それは決して阿含のことが嫌いなわけではなかったっていう、そういう匂いが……。

※追記はアイシールドには関係ない内容で続きます。


 あの賛否両論あるラストは、個人的には申し訳ないがNGです。あれはない。亜輝が仲間の元に戻ったのは逃げとかではなく人生に対して積極的な決断をしたんだと思うけど、その結果ちょっと最悪なことになって、アマギン側としては一度でも命をかけて助けてもらっただけで充分だっていう満足げな笑顔まで浮かべていたけど、死なれたほうは後悔しないわけにもいかないわけで、アマギンの死後は、亜輝がこの現実を乗り越えてあの決断をした自分をうけいれるために仲間のちからも借りて頑張るという話になり、それを達成して自分のなかで決着がつくと同時に円満な最終回を迎えたわけです。完璧に近いストーリー運びですよ。だからこそ、あのラストシーンはストーリー的には蛇足としかいいようがない。ファンには死ぬほど嬉しいけどさー、ええ私だって泣いて喜びたい気分です。でも作者のなかでもキャラへの愛がすべてに勝ってしまい、ストーリーがねじ曲げられてしまった瞬間だと思う。作者のなかで、主人公が亜輝&直巳からアマギンへとシフトしていたのがよくわかります。まさに真の主人公です。
 しかし繰り返しますが亜輝の決断はよかったな~。あのときの亜輝はアマギンに夢中でアマギンしか見えてないような状態だったのに、それでも別の道を選びとれたのが本当にステキだ。本質的に団体行動には適さない猫科の子だから、今後も仲間になじみきれない自分を感じる瞬間は多々あるだろうと予想できたにも関わらず、アマギンのような生き方はしないことにしたんですよね。ひとりになるってわけでもなく目の前に相棒になれる人がいるのにね。“もうひとりの自分”か……魂の双子っていうか。
 こういうのが私のツボなんだなーと再確認しました。こういうの書きたい!(笑)

 話はズレていきますが……既存の作品に感銘をうけて「こういうの書きたい」という衝動にかられたとき考えるのが、どこまでが盗作なのかってことです。亜輝とアマギンの基本テーマをそのまま使うとしてもキャラの性格や容貌や社会的立場を変えて、トレードマークになっているアイテムも元ネタが連想できないくらい違うものにして、舞台を現代日本からたとえばファンタジーにでもして、周囲の人間関係も可能なかぎり変更、たとえば直巳を異性の恋人にしてしまっても話は成立しそうですし。具体的なエピソードもみんな変えます。亜輝がアマギンを救出する場面ではセスナ機からアマギンがパラシュートなしで落ちたりするわけですが、これは「亜輝が命をかけてアマギンを救う」ということさえクリアできていれば舞台は海でも山でも河でも崖でも廃ビルでもどこでもいいわけですよ。ここまで前提が変われば当然セリフが同じになるようなこともないですし、亜輝とアマギンが似たもの同士であるのは外せませんが、同じような系統でさえあれば別の性格でもなんとかできます。性格が変われば言動もまったく違ってきますから、表面的には亜輝とアマギンとは似ても似つかない話になるはずです。わたし的には真似したつもりでも読んだ人はまず盗作とは思わないような代物が完成します。
 これは盗作でしょうか。さらに、根っこのストーリーやテーマが同じでも物足りない場合は一歩前進させた結論に至ればいいし、納得いかない場合は別の結論に至らせてもいいし。これをやれば文句なくオリジナルの作品になりますね。この「一加え」をやるかどうか、なのかな。

 盗作の事例をみると、問題になるのはストーリーとかテーマとかではなく本当に表面的な部分みたいです。たとえば私が過去に書いた「理由」という短編、これ宮●みゆきの小説「理由」とタイトルが同じであると後から気づきました。盗作にあたるか考え、「理由」という単語はべつに宮●氏の造語ではなく単なる一般名詞でありだれでも使うような言葉ですから、盗作として証明するのは難しいと思いました。もしこれが「○○の理由」という形ですべて一致していた場合は危険度が格段にアップすると思います。2文節からってことでしょうか。
 マンガの盗作検証サイトもいくつか見たことがありますが、それも問題になっているのはほとんどが「絵の類似」です。ストーリーやテーマを気にしているケースはあまりみられません(※)。

 盗作とみなされるのは言葉や絵という具体的な表面部分のみなのでしょうか。すると既存の作品から良いと思うストーリーやテーマをもらって自分というフィルターを通して別物に変身させれば、次々と新しい作品が生みだせるのですから、「既存の作品を読み解く技術」と「本質をそのままにキャラクター設定や舞台設定や具体的なエピソードを変更する技術」の持ち主は、理論上ネタ切れという状態には陥らないことになります。もちろん自力だけで思いついたテーマやストーリーがあればそれを使うに越したことはありませんが、そうでなくても上記のような「一加え」を入れればどこにも問題はありません。
 うーん、どうなんですかね。てか創作って自分の内部から湧きでる「これを書きたい」というパッションに基づいているわけですけど。その書きたいと思うものが、盗作として疑われる可能性のある部分である人は、常にオリジナルなアイディアを生みださないといけなくて大変ですよね。でも私がこだわって書きたいと思う部分って、たとえ丸っきり真似しても盗作とはみなされにくい部分であるらしい……と。二次創作やっといてナニいってるんだって気もしますが。オリジナルを書くときの話です。

 ともあれ「既存の作品を読み解く技術」を高めるべく、今週もジャンプ感想に励みます。

※その手のサイトを見た感想ですが、検証している内容のうち3割が「確かにヤバイ」3割が「明らかな言いがかり」で残りの4割が「どちらともとれる(すなわち裁判では無罪かな)」という感じでしたね。街並みや建築物の写真集を資料にしてマンガの背景を描いた場合も「これソックリ、盗作だ!」という扱いになっているのを読むとさすがに呆れます。違うでしょうよ……。あと絵を描くときだれでも使うような一般的なテクニックの使い方が某氏に似てる、とか。サイトの説明文でも「影響をうけている」という表現にとどめているのに盗作扱いしてるのは、作者への悪意から故意にやっている可能性も高いと思いました。
スポンサーサイト
別窓 | 本とか | コメント:3 | トラックバック:0 | top↑
<<ジャンプ14号の感想 | " Oh woe is me ! oh misery ! " | ジャンプ12~13号の感想>>
この記事のコメント
懐かしい~~~~。
作者が箕輪道(どうの字忘れた)でメジャーになる前にアマギンっぽぃのを主人公に連載してた気がする。

自分は猫っぽぃ人物って苦手で、アマギンのこともそんなに記憶してなかった。

盗作で言えば全ての超能力マンガはバビル2世のマネじゃないかと思っちゃうんですが…。ロックとかラグナロックとかその他諸々。
2006-03-10 Fri 13:04 | URL | nanasi #-[ 編集] | top↑
す、すみませ……このコメント、存在に気づいてませんでした。

ああ知ってる人がいるとは……検索してもファンサイトがさっぱり出てこないマイナー作品ですよね。知ってる人は知ってるんでしょうけど。

バビル2世は未見なのです。
超能力の設定自体は漫画家の創作というわけではないですから、ある程度は似たり寄ったりになるだろうとは思いますけどね。ラグナロックは北欧神話用語でしたか。
よくいわれることですが、最近のマンガ作品は絵的には素晴らしく進歩しているけどストーリーは昔のマンガのほうが面白かったりしますよね。だからいろいろ復刻されまくるわけですけど。
テーマとかストーリーとかいったものに関心がないのかなーと感じたりします。若者が全体的に、「深く物を考える」ということをやらない、もしくは慣れてないって印象をうけることもありますし。表面的な楽しさだけで満足して深入りしようとしないというか。基本姿勢がそんな感じじゃないですか~?
それだと既存の作品を読んで「それっぽいのを描こう」としか思わず、内容的に発展させずに再生産するだけなのかもしれません。寂しい。
2006-03-21 Tue 22:00 | URL | atoly #Iq8fyM7U[ 編集] | top↑
初めまして!CK001と申すものです。自分は、米原先生の作品が好きで、ウダヒマとココ、スウィッチ、ダイモンズは
持っているのですが、箕輪道伝説は、1巻を1冊持っているだけです。古本屋に行っても、なかなか見つけられない始末。はあ、いったいどこになるのやら・・・。苦笑。
チャンピオンを買わなくなったのもあり、最近短期間で終わってしまった作品たちは、よくわからないのですが、ウダヒマとココは名作だと思います!!!けっこう知らない人が多いので、こちらに記事を発見できて、とても感動しました!ありがとうございました!(?)
2007-10-10 Wed 20:40 | URL | CK001 #booe7OlA[ 編集] | top↑
コメントの投稿
 
 
 
 
 
 
  管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

| " Oh woe is me ! oh misery ! " |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。