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診断名サイコパス
2005-04-13 Wed 08:00
 例によって世間の流行とは無関係に生きる私は、いまさら『診断名サイコパス』の感想です。

 サイコパスとはなにかというと、罪悪感や良心の呵責というものが欠如していて他人の感情や幸福といったものに無関心なので平気で他人を食い物にして生きていく人のことで、犯罪の常習者が多いのですが、法律に違反しないで生きている人もいくらでもいます。その場合でも周囲の人間はひどい目にあっていることが多いそうです。口が達者で他人に自分を良く印象づけるのがうまく、また、不特定多数の異性と関係をもっているのが普通です。


 他人に共感したり感情移入したりする能力が足りないのは『平気でうそをつく人たち』に登場する“邪悪な人”と同じなんですけど、原因というか仕組み(?)は正反対です。

 “邪悪な人”が自分に都合の悪いことをいわれたりすると論理的な思考ができなくなってすべてを自分以外の責任にするのは、心が傷つくのを防ごうとする一種の防衛機構で、ふつうの人にも理解可能だと思います。ただ病的なまでに過剰防衛してしまっているわけです。

 サイコパスの場合は、そもそも自分自身の感情が希薄なので、他人の心が理解できません。“邪悪な人”が異常に傷つきやすいのに対して、サイコパスは傷つかない人なのです。まさに「人の痛みがわからない」という。  たとえばサイコパスは恐怖を感じません。だれでも怖い思いをしたときは鼓動が早くなったり口内が乾いたり手のひらに汗をかいたりすると思いますが、サイコパスの人の身体に電極をつけて測定すると、恐怖を感じて当然の場面でもそういった生理現象が起こっていないのです。恐怖というのは行動を抑制するのに大きな役割を果たします。もし人を殺したら信用を失うし刑務所にも入らなきゃならないし大変だなーという想像はサイコパスの人にもできるのですが、恐怖感が伴わないので知識として以上にその未来を実感することができず、まるで学習能力がないかのように同じ犯罪を何度も何度も繰り返してしまいます。
 でも刑務所の中にいようが外にいようが、たいていのサイコパスたちは気楽でハッピーな気分で過ごしているのです。
 三人の子供を産んだ、あるサイコパスの女性は、多数の男性と交際していて、ある夜、セックスに疲れたから彼氏に5才になる自分の娘を犯していいと言いました。そんな調子なのでやがて子供が邪魔になり殺そうとして、ひとりを殺し、残りのふたりを半身不随にしてしまいます。彼女は有罪判決がくだされる裁判の最中も上機嫌で、鼻歌を歌いながら足でリズムをとっていたそうです。べつに知能には問題ありませんので、ちゃんと状況を理解しているんですが……。
 ある女性の夫は弁護士でサイコパスと診断されたのですが、その女性がいうには、彼は最初から自分には感情がないと言っていて、心理学の本を読んでどういうときにどんな感情をみせればいいのかを家で勉強していたのだそうです。

 そんなわけでサイコパスには犯罪者が多いのですが、実際になにをしでかしてしまうかは、その人がなにを求めているか、そしてどれだけの能力をもっているかにかかっています。性欲が旺盛なサイコパスは連続強姦魔になるし、おかねがほしければ窃盗や強盗をするし、あるいは暴力的な手段が趣味じゃないなら詐欺師になるし、女性の死体を材料にして家具を作りたいと思えば墓場を漁ったり女性を殺したりするわけです。
 正常の人間がそうであるように、たいていのサイコパスもスケールの小さい人間なので、ありふれた悪事しか犯しません。しかし彼らはふつうに再犯するので、そこが危険視されます。

 私たちにわかる例でいうと、デスノートのLは、かなりサイコパスっぽいと思います。デスノートを最初に使ったとき、あのライトでさえ、自分のしたことに怯えて布団をかぶってガクガクブルブルしたわけですが、もしこれがLならば、どうでしょう?
 Lは性欲や金銭欲を満たすことにはあまり喜びを感じず、犯罪者との知的な攻防に充実を感じるようなタイプでした。サイコパスは退屈を嫌う性質が強くて、航空管制官のような仕事には向いているだろうと思われるんですが、Lは探偵という職業を選んで成功したわけです。そしてアイシールドの原作6巻の阿含は、暴力的なタイプのサイコパスの典型的な姿をしているように見えます。

 どうしてそんな人間になってしまうのか原因を考えようとすると、たいていの人は家庭環境や親の人格などに問題があるのではないかと疑うのですが、残念ながらそうではないようです。愛のある経済的にも恵まれた普通の家庭の出身で、同じ条件で育った兄弟姉妹たちは誠実でノーマルな人間になっているのに、ひとりだけサイコパスが混ざっているという例がいくらでもあります。
 サイコパスでない犯罪者の場合、初犯の年齢は、問題のある家庭の出身者は15才頃で、とくに問題はみられない家庭の出身者は24才頃というふうに、明確な差がでます。それに対してサイコパスの場合は、家庭環境が良かろうが悪かろうが初犯の年齢は14才頃になるのだそうです。というわけで、サイコパスというのは遺伝的、生物学的な要因によるところが大きいのではないか(社会的な影響も原因のひとつだけど)という学説を、この作者は支持しています。

 つまり、生まれつき“悪い”子供がいるんだってことです。

 この考え方にはたいていの人が反感を示しますが、問題児に接することの多い職業の人間なら、残念ながらそういった子供がたしかに存在していて、それは今に始まったことではなく太古の昔からそうだったんだろうってことは経験的に知っているのだそうです。
 具体的には3才の幼児を五階の階段から投げ落とした5才の子供とか、誕生パーティの計画をしていた妹と母親が気に入らなくて殺した12才の少女とか、自宅の庭で遊んでいた友人に出ていくように命令して従わなかったから殺した11才の少女とか、生後3週間の双子の弟のうちのひとりに手をひっかかれたのでふたりとも床に投げつけて殺した4才の少女とか、友人にナイフをつきつけてレイプした9才の少年とか、マリファナの売人をしている12才の友人に金を払ったのに商品をよこさないからといって殺した13才の少年とか……この本はアメリカで出版された本なのでやたら過激なのかなって気もしますが……とにかくこういう子供たちは幼いせいで罪悪感を感じないのではなく、大人になってからも反省も後悔もしなかったのです。「自分はいつも冷静だしなにかするときには必ず理由がある。理由があるから殺したんだ。いちいち覚えちゃいないけどそのときにはそれなりの理由があったんだろう」というようなことをサイコパスの人はよく言います。まったく悪びれずに。

 こういった子供の親たちは、自分の子供が他の同年代の子供と明らかに違うことを知っていて、なんとかしようと医者にみせたりカウンセリングをうけさせたりするのですが、まったく効果がなくて途方に暮れ、育て方のどこを間違ったのかと自分を責めていることが多い(周囲から責められていることも多い)のですが、サイコパスが生物学的な要因であるならば両親に責任はないし、そういう絶望している親たちを助けるためにも、生まれつき悪い人間というのが存在するんだってことを世間の人は事実として受けとめるべきだ、でないと対策もとれない、というのが作者の主張であり、そうやってサイコパスの正しい認知を高めるために書かれた本のようでした。

 ……以上をふまえて同人的な可能性を追求してたんですけど、恥ずかしいのでブログでは省略します(笑)。
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